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マルタの旅:最終回

エキサイティングなマルタの旅も、いよいよ最終日となった。

私達が最後に選んだ観光コースは、遊覧船に乗って海からマルタの三都市を眺めるものだった。

 

そのキャプテンモーガンという遊覧船の出港するスリマの乗船場は、別荘からかなり遠かったので、近くの港から、タクシー代わりの舟で移動することになった。

それは6~7人乗りの小さな舟で、私達の貸切になった。

 

 

約30分でスリマに着くと聞いても、怖がりの私は乗りたくなかったが多数決で押し切られ、気後れしながら乗船した。波は穏やかといっても、地中海の外海に出るとけっこう揺れてうんざりしている私と対照的に、家族はそれぞれに楽しんでいる。

 

確かに、碧い海から眺めるマルタの都市は、空と海の蒼にサンドイッチされて、くっきりと白く浮き上がって美しい。高層ビルや現代的な建物がほとんどないこの景色は、ハリウッドの映画撮影に適していて、グラディエーター、アラビアンナイトなど、多くの有名映画のロケ地になっているそうだ。

 

 

何とか無事スリマに着いて、運賃を支払うのかと思ったら、婿が半金を渡している。どうして半分なのと尋ねると、往復での契約なので、あと半分は帰り着いてから払うという。そうしなければ、帰りは迎えに来ないのだそうだ。どこの世界も世知辛いが、マルタのフレンドリーな人々に触れていると、少し不思議な気にもなったが、最後にチップをはずむことにした。

 

キャプテンモーガンは、観光客でいっぱいだった。

イタリア人、イギリス人、インド人、アラブ人など、様々な国の人々が、心から景色を楽しんでいる。

 

マルタの三都市と称される町は現在では、ヴイットリオザ、セングレア、コスピクアと呼ばれ、ラ・バレッタに向かって突出する形で深いグランドハーバーに面している。

 

 

もともとビルグ(ウイットリオザ)と呼ばれる小村が建設され、1530年マルタ島に到着した聖ヨハネ騎士団は、ここを定住の地と決めた。やがて、近郊の無人の半島リスラにも稜保が築かれ、入植が始まり、当時の騎士団長クロード・ド・サングルを讃えて、セングレアと名づけられた。

 

 

1565年の大包囲戦で見せたビルグとセングレアの勇気を讃えて、それぞれに勝利の町、無敵の町という称号が与えられた。その後、この二つの都市の間に、集中して建造物が造られ、一つの町が生まれた。この町はボルミアと名付けられ、歴代騎士団総長の命令で、これら三都市は巨大な城壁で囲まれた。ボルミアは、莫大な町コスピクアと呼ばれるようになった。

 

 

ラ・バレッタ建設後、騎士団は政庁府を移転したものの、三都市は、騎士団の航海活動の中心で、造船所、武器庫が置かれ、マルタ人船乗りや商人たちが住むようになった。英国支配下、ボルト・グランデは英国艦隊の地中海本拠地となり、三都市は更に大きな発展をとげた。戦略の要衝だった三都市は、その後度重なる砲撃や爆撃を受けたが、その魅力は衰えることなく、現在に至るまで多くの観光客を魅了している。

 

 

マルタの熱い真夏の太陽も、船に揺られていると涼しく感じる。

湿気のない涼やかな地中海の風が、私をはるか昔の中世に運んでいく。

 

この乾いた大地に根を下ろして、幾多の苦難にも負けず、40万人の国民の90%がカトリック信者であるこの国の人々に、私はいろいろなことを教わった。

 

 初めての地中海の旅は、私に新たな始まりを感じさせる。また次回、もっとゆっくり、今度はいろいろ調べて、この島を巡ってみたい。

 

 そう決意して、マルタ島を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント:

 

本日は本当にありがとうございました

早速HP拝見しました

コバルトブルーの海がなんとも言えず憧れる島ですね

またご家族の温かい旅の様子も素敵です

私もいつか…!

またよろしくお願いいたします。

 

投稿者:こやま

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